2014年10月22日水曜日

九州一周達成しました!のご報告と現状連絡

えー、お久しぶりです!ジンです。

ご報告というには随分と遅れましたが、自転車で九州一周、無事達成することが出来ました!

台風の直撃を二度も受け、かなり酷い道を走らざるを得ない状況にになった事もありましたが、
それを含めても、本当に素晴らしい旅でした。

一応、旅動画現在作成中で、よーやく半分といったところです。
HDDは腐るわ、CPUはしょぼくれてるわで中々難航してはおりますが、まぁ、気長に待って下さいw

ではまた!(・ω・)ノ

2014年9月11日木曜日

自転車で九州一周プロジェクト、開始します

お久しぶりですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
ジンです。

以前からTwitter上では告知していたんですが、

「自転車で九州一周」計画、いよいよ始動します!

いや、本当は結構前からちくちく準備だけはしてたんですけどね・・・w

とりあえず、ニコ動に準備編の動画をアップしてみました。
久々にPremire使ったら、操作をがっつり忘れててかなり手こずりましたが。。。

【準備編】ちょっと自転車で九州一周してみる
http://www.nicovideo.jp/watch/sm24447959

良かったら、見てもらえると嬉しく思います。

※ここまで大々的に告知して、中止になったらどうしようか・・・(汗

2014年7月24日木曜日

父が亡くなりました[2014/7/22]

 朝になりました。5時くらいだったでしょうか、母がホールのほうにやってきて、私たち兄弟を叩き起こしました。
 何事かと思えば、歯ブラシを買って来い、だそうです。

 自宅に忘れてきてたんですね。まぁこんな非日常な出来事の最中ですから、仕方が無いのかも知れませんが。
 
 私が近くのコンビニまで行き、人数分の歯ブラシを買ってきました。
 ついでにと、栄養ドリンクも買ってきました。この状況で誰かに倒れられてはたまりませんから。

 9時30分くらいから、今日の流れについて説明を受けました。ですが、正直良く覚えていません。
ただ、親族代表挨拶は私がやることになったのだけは、覚えていました。

 玉串奉奠とプログラムが徐々に進み、いよいよ私の親族代表挨拶になりました。
 
 本日はお暑い中、お集まり頂き有難う御座います・・・・
 
 
 
 
 きちんと言えたのはここまででした。
 
 
 
 その先に「7月20日 7時0分に58歳でその生涯を・・・」が目に入ったとき、最後に話したこと、食事をしたこと、そして死亡診断を受けてから今日までのこと、何より、これを読み終わったら父の体はこの世から消えてしまうんだということ。
それらがごちゃ混ぜになって頭の中を駆け巡り、涙と嗚咽を抑えることが出来ませんでした。

 涙でかすんで用意していた原稿がろくに読めない中、これが私が出来る、父への最後の親孝行なのだと自分を奮い立たせ、何とか最後まで読もうとは考えているのですが、ちゃんとするという事がどういう事なのか、良く分からなくなっていたように思います。

 父が死んだ。言葉にすればなんてことは無いのですが、これを口に出して、声に出して言うことが、こんなにも辛い事だとは全く考えていませんでした。

 その後、嗚咽も絶え絶えに地区の方々への謝辞も読み上げ、椅子に戻ったのですが、その後棺を開けて花を入れるまでのところは、正直良く覚えていません。
 ただ、母に背中をさすられていたのだけは覚えています。
 
 気がついたら、棺を開けて花を入れていました。
 元々花が好きでしたから、たくさんたくさん入れました。
 
 庭で作っていたぶどうも、時期にはまだ早いとは思いましたが、ふた房入れました。
 本当なら、私が神奈川に一度戻る前に食べるはずだったおはぎも入れました。
 
 自宅で印刷してきた写真も入れました。帰省したとき、皆であちこち旅行して撮影した写真で、撮影者は私。カメラをされている方なら分かると思いますが、どこで、何があって、どういう気持ちでシャッターを切ったのか、全部覚えていました。
 父が撮影していたフィルム写真はネガが67ということもあり、焼き増しする時間はありませんでしたので、スキャナで取り込めるだけ取り込んで、それをプリンタで出力して入れました。

 皆が写真の裏に、父への手紙を書いてくれました。母が最初に始めたのですが、それが次第に広まり、従兄弟のお子さんまで書いてくれました。

 私は、書きませんでした。必要ないと思いましたから。
 私にとっては、撮り溜めた写真の一枚一枚がメッセージそのものでした。
 一緒に家族旅行に行って楽しかったこと、全然知らなかった風景を見れたこと、思うように撮影出来ずもどかしかったことなど、そんな思い出そのものであり、そのときの気持ちをしたためた日記と同じようなものでした。
 
 これ以上に言葉で書けることなんて、私は持ち合わせていないと思いました。
 だから、手紙は書きませんでした。
 
 棺にしがみついて号泣する母の背中をさすりながら、嗚咽をこらえるのに必死でした。
 
 いよいよ火葬場に向かう時間となりました。母が父の棺と一緒に霊柩車に、私と弟が骨壷と遺影を持って先導車に乗り込みます。
 
 長いクラクションの後、火葬場に向けて車が走り出しました。
 といっても、この道も通いなれたもので、馴染みのある道。父の仕事を手伝ったことや、釣りに行ったことなどが思い出されました。

 10分ほどで火葬場に到着しました。私は父の遺影を抱え、車を降り、母の乗る霊柩車を待ちました。
 外は、絶好の釣り日和といわんばかりの快晴で、空を仰ぎながら「天気でよかったね」と思いました。
 
 何が良かったのか良く分かりませんが、まぁ、雨降りよりは良いでしょうと(笑)。
 
 
 しばらく待つと、母の乗る霊柩車がやってきました。どうも途中にあった工事現場の片側通行に引っかかったようでした。
 
 皆が集まり、最後の玉串奉奠が始まりました。これで、本当に最後なんだと思いました。
 今度は泣きませんでした。涙はたまっていましたが(笑)
 
 
 玉串奉奠が終わり、父の棺が炉にうつされました。
 
 本来ならば、喪主が点火スイッチを押すのでしょうが、それだけはさせたくありませんでした。
 これ以上母一人に父の幕引きをさせるのは、あまりに酷だと思いました。
 
 だから、絶対にさせたくはありませんでした。
 
 なので、私と弟二人で、一緒にスイッチを押し込みました。
 
 
 目は、閉じませんでした。
 不思議と、何の感情も抱きませんでした。
 
 
 その後、斎場に戻り、精進落としの席になりましたが、料理の数が足りなかったりやらトラブルがあり、正直あまり感傷にふけっている余裕は無かったように思います。
 ただ、これ以上もう泣くまい、とは思いました。

 午後2時20分、お骨あげに火葬場へ戻ります。
 焼きあがってきた父の体は、とても小さくなっていましたが、元々骨太だったこともあり、とてもしっかりと残っていました。
 
 
 
 ただ、肺がんだった父は、それを訴えるかのようにがんのあった場所の骨は、痛々しい位に色が変わり、ボロボロになっていました。
 胸骨も、殆ど残ってはいませんでした。
 
 私と母二人で、最初のお骨をあげました。
 それから、弟と私で指示されたお骨をひとつずつ、あげました。
 
 その後は、火葬場に来てくださった親族の方々で、父のお骨をあげました。
 20人以上、いたと思います。皆さん、箸を手に父のお骨をあげてくださいました。
 
 最後に喉仏をおさめ、頭蓋骨で蓋をして、終わりました。
 本当に、本当に小さくなってしまったなぁと、そんなことを考えながら、遺影を抱えて斎場を出ました。
 
 
 その後、納骨のため、お墓まで向かいました。
 私と弟は皆とは違う道でお墓を目指しました。少し遠回りになっても、別の道でお墓に向かいました。
 
 皆より、神主さんより少し遅れてお墓に到着しました。
 何故遅かったのか?と聞かれて「家の前を通ってやりたかった」と答えると、誰も何も文句は言われませんでした。
 
 
 玉串奉奠の後、納骨となりました。
 あげたばかりの父のお骨の入った骨壷は、まだぽかぽかと温かかったです。
 
 骨壷は、私が入れました。
 お墓に骨壷を納め、扉を閉めました。
 
 これで、本当に、本当にすべてが終わりました。
 
 最後に自宅に戻り、お茶を振る舞い、ひとり、また一人と親族が帰っていき、ついに私と弟と母だけが残されました。
 少し遅れた昼食のせいもあり、夕食を少しだけとり、床に就きました。
 
 


 葬儀が終わって、2日が経ちました。
 私にとっては、父も母もいないのが日常の当たり前の光景でしたから、まだそこまで実感できていないのか、あまり普段の生活を送るうえで、落ち込んだりすることはそこまで無い様に思います。
 
 先日、病院から戻ったときの荷物を整理している中から、小さなノートというか、メモ帳のようなものを見つけました。
 紙のすみは何度も折られ、少し黄ばみかかっていたノートですが、そのノートには見覚えがありました。
 
 それは、父の病室の枕元に、ボールペンが添えられていたノートでした。
 闘病中、私は中を見たことはありませんでしたから、何を書いているのか気になり、ぱらぱらとめくってみました。
 
 
 内容は、6月ごろからの毎日の記録でした。飲んだ薬などが細かく書かれていました。
 「○月×日 天気 くもり」などと書かれていて「小学生の日記かよ(笑)」と少し笑いました。
 
 ただ、内容は日を追うごとに短くなり、最後は日付も満足に書かれておらず、ページが飛んだり、最後のほうに書かれたり、ノートの裏に書かれていたりしていました。
 
 「今日は調子いい」
 
 「痛くてたまらん」
 
 「○○さん、もうだめ」
 
 「ありがとう」
 
 そんな言葉が、ページをめくるごとに乱雑になっていく字で、綴られていました。
 特に一部の文字は、ギリギリ判別できるような状態で書かれていました。
 
 父はそこまで達筆なほうではありませんでしたが、子供からみても雑に字を書くことは決してしませんでした。
 痛い、きつい、辛い、そんな言葉を愚痴っぽくこぼしたことはあっても、弱気な言葉は何一つ家族には言わなかった父が、どれだけ辛い思いをしていたのか、痛いほど分かりました。
 
 幸い、そのノートをみつけたのが私一人であったこともあり、声を出して泣きました。
 誰に見られるわけでもない、そう思って、遠慮もせずに泣きました。
 
 母には、ノートの存在は伝えていますが、すべて事が落ち着いて、それから読むように言っています。
 でも、必ず読んでほしい、とも言っています。
 
 
 この一週間何があったのか、自分の中で整理をつけるためにと、コレをずっと書いてきました。
 綴っていく中で、フラッシュバックしてくる光景と、最後に父と過ごした時間が鮮明に思い出され、何度か涙したこともありました。
 
 22日の出来事を書き始める前に、何度も何度も、こんなに辛いならもう書くのをやめてしまおうと思いました。
 ファイルを閉じて、Delキーを押せば、ハイお終いです。このファイルが存在した事だって、誰も知らないのですから、誰にとがめられるわけでもない、だからこんなに辛いなら、もう書くのをやめてしまおうと思いました。
 
 ただ、最後に父と話をしたのは私なのですから、これを書けるのも、残せるのも、やっぱり私なのだと思いました。
 そう思って、ここまで書いてきました。
 
 
 事務的な手続きやら、まだまだやる事も多く、毎日奔走している日々ですが、何とか立ち直りそうです。
 弟は弟で、何か明るい話題を提供したいと、落ち込む祖父母と母を元気付けたいと思ったのでしょう。
 
 あと5年以内に結婚してみせる!と宣言していました(笑)。
 
 それが本気かどうかともかくとして、葬儀後、はじめて祖父母の笑顔が見れた瞬間でした。
 
 
 まぁその煽りが私にまで来たのはチト困っておりますが(笑)。
 
 ただ、孫も抱かせてやれず、逝かせてしまったのは、それはそれでやっぱり後悔もしています。それはきっと弟も同じなのでしょう。だからあんなことを言ったのかな、とも思っています。
 
 元々趣味人間な私ですが、そろそろ本気で身を固めることも考えなければいけないのかなぁ。
 でもそもそもこんな趣味人間についてくる人なんか、いるんかいな(笑)。
 
 ただ、いずれ来るであろう母のそのときに、全く同じ理由で、孫を抱かせてやれなかったことで後悔はしたくない、と思っているのも事実です。それは、後悔という形で、父が私に最後に教えてくれたことのひとつである、とも思っています。
 
 今回、いろんな事を学びました。
 仕事一辺倒で無かった父、多趣味だった父、好きなことを好きなようになっていた父。
 
 でも、まだまだやりたかった事も多かったことと思います。
 
 だから、私も惰性で毎日を過ごすことはせず、やりたいと思ったことは本気でやろうと思っています。
 それは、仕事であれ、趣味であれ、多岐に渡りますが、端から諦めていたことも少なくありません。
 
 でも、やりたいんだったら、だったらやろうと思っています。
 
 ここ数日の出来事を、そのときの感情だけで、とりとめもなく綴ってきました。
 乱筆乱文ではありますが、メッセやメールで励ましてくださった方々への、近況報告とさせてください。
 
 
 次回からは、またたっぷりこってり趣味な内容が載った、ダメ人間満載の日記になると思いますが(笑)

父が亡くなりました[2014/7/21]

 通夜の日になりました。正直、朝起きて父の棺を見ても、顔を見ても、全く実感が沸きませんでした。
 その間にも、昨日来られた方がご焼香に来てくださいました。母は涙も見せずに挨拶していました。

 私といえばその間に、遺影に使う写真と、葬儀中に流す写真を用意していました。
 といっても、帰省するまでこんなことになるなど、全く予想してはいませんでしたから、写真など用意はしていませんでした。

 なので、実家に置いていった古いXPマシンや、外付けHDD、もう使わなくなったノートPCなどをひっくり返し、
あるだけの写真をかき集めました。
 集まった写真は延べ25枚。その中からどの写真を遺影にしようか、という話になり、親族一同集まってみんなで見ていきました。
その中の一枚に、愛犬を抱いて、笑っている写真がありました。
 父の格好と言えば昔から容姿にはあまり気を使わない人でしたから、髪はボサボサだし、服装は固まったセメントのこびりついた
作業服に、黄ばんだタオルを首にかけているという、お世辞にも立派とは言えない格好でしたが(笑)、屈託なく笑っているその顔と
作業着に身を包んでいる姿がいかにも父らしいということで、満場一致でその写真を使うことに決まりました。

 その後、私と弟二人で、父が入る予定の墓を掃除することを思いつきました。別にどちらから言い出したわけでもありません。
お墓への道は、先日草払いがあったのでしょう、枯れた草と葉っぱが大量に積もっていました。持ってきた箒で綺麗に掃き、
一時間ほどかけて掃除しました。

 午後3時くらいだったでしょうか、葬儀社の方が父の棺を迎えに来られました。
 これでもう、父が我が家に戻ってくることはありません。
 


 葬儀社の方が運転する霊柩車は、クラクションを鳴らし、ゆっくりと斎場に向かい始めました。

 午後4時、斎場に到着し、通夜の段取りを説明されました。
 しばらくすると、私の友人が鹿児島から、父の訃報を聞き、駆けつけてくれました。

 事後報告でも構わないかなーと思っていましたから、通夜に顔を出してくれると聞くまでは、まさかわざわざ鹿児島から宮崎まで
来てくれるとは思っていませんでした。どう言葉をかければ良いか分からない、と言ってくれた友人の、そんな優しさに心から
感謝しました。

 午後6時、通夜が始まりました。後から後から、線香をあげに来てくださいました。私が知らない方も沢山いらっしゃいました。
 その数は200人以上でした。当初お返しの品を150もあれば十分であろうと構えていたのですが、途中で追加してギリギリと
いう状況でした。

 祖母の手をとって泣いてくれる方
 母と一緒に父の顔を見て「寝ているようにしか見えない」といって涙してくださる方
 父と20年来の付き合いのある方

様々な方が来られましたが、皆一様に一緒に悲しんで下さいました。

 しばらくすると、突然土砂降りの雨になりました。天気予報では雨が降るなど出ていませんでしたから、驚きました。
 斎場にいても、斎場の屋根をたたくのが分かるほどの雨でした。

 あとから聞いたのですが、その雨は斎場周辺と母の実家の近くだけしか降っていなかったそうです。
 斎場からほとんど距離のない従兄弟の自宅周辺(2キロも無いです)も、全く降っていませんでした。
 
 母と「あの雨は、涙雨だったんだろうね~」と話しています。

 その日は21時前後で通夜が終了し、私たちは斎場に泊まることになりました。


 母は祖父母と従兄弟と一緒に別室で休んでいましたが、私たち兄弟は父の棺が置かれている、ホールの方で休むことにしました。

 しばらく取りとめもない話をしていました。
 父の遺体がすぐそばにありましたが、線香をあげるたび、顔をみても「ただ寝ているんだ」としか思えませんでした。
 化けてでもいいから出てきてくれないかな~とも思いました。父と話したいと本気で思いました。

 もう少し現実を見るべきでした。明日には父の体はこの世から消えてしまうことを、もう少し考えるべきでした。
 そのことを実感したのは、翌日、式の最後の最後になってからでした。

父が亡くなりました[2014/7/20]

 朝5時を少し回った頃でしょうか、母に叩き起こされました。
 病院から連絡があり、今すぐ来てくれ、とのこと。

 この段階にもなってまだ、今日の飛行機で戻れるだろうなーと言う事に全く疑いをしませんでした。
 だって、昨日あれだけ話して、食べて、笑ったんですから。

 戻ってくる暇が無いかもしれないから、と、持ち帰る荷物のトランクを車に積み込み、病院に向かいます。
 私は10年来運転してませんでしたから、弟が運転する車に乗り込みました。

 自宅から病院までは、車を飛ばして1時間ちょっとかかります。弟の車で病院に向かいながら、さっさと顔を見て安心したいという思いが強くなっていました。
 到着するやいなや、母の車に乗っていた祖父と祖母を連れ、父の病室に向かいました。
 急いで行きたいのに、のんびりと歩く祖父にかなり苛々させられました。
 
 駐車場から5分もかからなかったと思います。到着したのはここ一週間毎日通って見慣れた廊下と
見慣れた病室でした。



 違っていたのは、心電図のバイタルには「0」とだけ表示されていたこと。
 血中酸素も、脈拍も、血圧も、なにも表示されてはいませんでした。
 




 きっと処置をするためにセンサーを取り外したんだ、そうに違いないと思いました。普段自宅で寝ているように
口を半開きにして寝る父を見て、何かの冗談じゃないのかとさえ感じました。

 みんな来たんだから、私だって来たんだから、さっさと起きてくれよ。じゃないと飛行機間に合わなくなっちゃうよ。
 そんな事を能天気に、本気で考えていました。




・・・・2014年7月20日 7時0分 死亡確認。
医者から現実を突きつけられてはじめて、状況を飲み込んだ自分がいました。





 ふざけないでくれよ、と本気で腹が立ちました。
 8月の中旬には仕事も辞めて、部屋も片付けて戻ってきて、そしたら1週間、2週間なんてケチなことを言わずに、
朝から晩まで毎日ついていてやれるからねーってそんな話もしていたのに。


 次戻ってくる時の土産は何がいい?なんて話してたのに。
 仮退院許可が出たら、どこに行きたいねーなんて話して、ホテルまで一緒に探していたのに。


 全部ぶち壊して勝手に逝った父に、本気で腹がたちました。
 29年親子をやってきて、初めて本気で腹がたちました。



母も、祖母も泣きました。何で一人で逝くのかと、怒ってさえいました。
今日もおはぎが食べたいと言っていたじゃないかと、先に到着していた母方の従兄弟も泣きました。

しばらくして父方の従兄弟も到着し、みんなで泣きました。


私は泣きませんでした。
きっと母のほうがずっと辛いと思ったから。
他界する前日、つまり昨日、母は用事があって、病室までは来ませんでした。

当然でしょう。私の話を聞いたとき、普段よりずっと調子がいいと思っていたんですから。

きっと、後悔もあったんだと思います。
そういう意味でも、私より、ずっと辛いだろうと思っていました。

しばらくして、看護婦さんが「体を綺麗にしますので、しばらくお待ちくださいね」と
家族一同を談話室に案内しました。

10分少々たったころでしょうか、普段使っているバッグを病室に忘れてきたことに気づき、取りに戻ると、
ちょうど父が体を拭いてもらっている最中でした。

看護婦さんが「されますか?」とおしぼりを渡してくださいましたので、手と足をそれぞれ拭かせてもらいました。
さっきまでほのかに暖かかった父の体は、徐々に冷たくなっていました。

枕カバーにと、昨日私が敷いたタオルが背中のあたりから出てきました。
タオルはまだあたたかくて、これが父の最後のぬくもりなのかと思うと、じわりと涙がにじみました。

しばらく涙をこらえながら、黙々と父の体を拭いていると「ご家族の方に綺麗にしてもらって良かったですね~」と
看護婦さんが話しかけられていました。
何かを話すとわめき散らしそうで、笑って会釈するのが精一杯でした。

ある程度からだを掃除すると、新しい病衣をご用意しますね、との事で、私を残して看護婦さんが部屋から出られました。



泣きました。私一人で泣きました。社会人になって初めて、声をあげて泣きました。
もうこらえなくても良いんだ、というのもあったのでしょうが、肉親を失うことがこんなにもくるものだとは思いませんでした。


その後、病理解剖についての同意書にサインしました。
理由は、きっと父もここまで苦しんだ理由をきちんと知りたいと思ったから。

なぜ抗がん剤がほとんど効果を成さなかったのか、その理由も含めて、頑張って闘病していた証を残してあげたかったし、
人を喜ばせるのが好きだった父の事です、誰かの役に立つというのなら、病理解剖を望むだろうとも考えましたから。


当初、病理解剖は2時間程度で済む予定でしたが、予想外にがんが進行していたことが分かり、病院を出ることが出来たのは、
病理解剖開始から約4時間後、午後3時30分でした。


霊柩車には、私が父と一緒に乗りました。
帰り道、景色を見ながら色んな事を思い出していました。もう忘れていたと思ったことさえも思い出していました。
当然といえば当然です。大学病院から自宅までの道は、母方の祖母の家に遊びにいくのにとても良く通った道なのですから。

家までは1時間30分ほどかけて到着しました。棺を降ろし、仮通夜が始まりました。
父方の従兄弟が先に自宅に戻り準備をしていたため、帰宅すると沢山の親族が既に集まっていました。
4~5人で、私と弟も混じり、父の棺を霊柩車から降ろし、家の中に運び込みました。

ここから、料理を用意したり、焼香に来てくださった方にご挨拶をしたりと走り回っていましたが、正直良く覚えていません。
ただ、慌しく動き回っている間は、落ち込む暇がありませんでしたから、ある意味目を背けていたのかも知れません。

最後のご焼香の方が22時過ぎに帰られ、家には私たち家族と母方の従兄弟、父方の従兄弟が残りました。
少しでも人が多いほうが良いだろうと、自宅に泊まっていって下さいました。


私といえば、少しぼーっとすると病院での出来事がフラッシュバックしてくるのに耐えられず、絶えず動くか話していました。
滅茶苦茶に動いたからでしょうか、その日も泥のように眠りました。

父が亡くなりました[2014/7/19]

今日も病院に向かいます。いつものようにバスを乗り継いで・・・だったんですが、
待てど暮らせど普段乗るバスが来ません。
 しばらくして、今日が土曜日であることに気づき、休日ダイヤで確認すると・・・・
 
えーっと、バスいないです。ハイ。
次のバスは・・・・50分後!?いくらド田舎とは言え、バスターミナルでこれはねーでしょ(笑)

 えらく困り果てたんですが、普段と同じルートで移動すると1時間以上遅くなってしまうため、
いつもと違うバスで移動することに。宮交さん、タダでさえ少ないバスをさらに減らさないでくださいよ。。。

 病院に到着するやいなや、親父と話すと「映画を観たい」と。明日の飛行機で戻る予定で、
その前に一度祖母の顔も見たいと思っていましたので、今日一度病院についてから、祖母の病院にも向かおうと
思っていました。
 幸い、病室にBDプレーヤーを買ってあったので、ベット脇にセッティング。
 何か欲しいものがある?と聞いたら、「おはぎを食べたい」とのリクエストがありましたので、
買ってくるねと話して、病室を出ました。

 祖母の顔をみて、昼食を済ませて病室に戻ります。昨日からあまりたんぱく質を食べたがらなかったので、
豆乳なら飲めるかな、と豆乳飲料も買ってきました。
 買ってきたおはぎ自体はとても大きかったですから、恐らく残すだろうなーと思っていたんですが、
そんな心配などどこ吹く風で、きれいに完食。横で見ていた私のほうが驚かされましたよ。

 その後少し休み、「アイスが欲しい」と話していたので、コンビニまで行くことに。
 前回買ってきたときに、エッセルのスーパーカップは多すぎるようだったので、ハーゲンのサイズなら食えるだろうと
バニラ味を購入。

 量もそこまで多くありませんでしたから、これまたしっかり完食。
 午後6:00になりましたので、父の夕食の世話をし、私は帰宅することにしました。

 明日飛行機に乗る前にちょっと寄るね、と話をしたら、またまたおはぎをリクエストされました。
 どんだけおはぎ好きなんだこの人は(笑)。

 昼食も夕食も結構食べていたこともあり、明日の飛行機で一度神奈川のアパートに戻れることに
露ほどの疑いも抱かず、引越しの段取りと退職の手続きをどう進めようかなぁなどと考えながら、
この日は早めに床につきました。
 相変わらず、暑苦しい夜でしたが、ここ最近の移動疲れもあり、すぐに眠りこけました。

2014年6月15日日曜日

CHASSE Mk-Ⅱ 完成

どーもー!ニートになりましたー。
ジンです(・ω・)ノ

いや、正確には間もなくニート予定ですがね。



さーて、今回のネタはアップグレードしたシャッセ君。
じゃんっ!
我ながら、もはや見る影一切ないですな。
一応、シャッセなんですよね、コレ。

2012 LOUIS GARNEAU製品 CHASSE
元がコレwメーカサイトにまだ情報ありましたわ。

分かる範囲で、使用したパーツをまとめてみました。
○パニアパック
 ORTLIEB バックローラクラシック

○トランクバッグ
 トピーク MTX トランク ドライバッグ
 いずれも完全防水。レインカバーをかけるタイプのほうがいくらか安いんですが、面倒だし。デザインも気に入ったのでコレでいいや!と。
例のロゴもトランクバッグに貼ってみましたよ。

○キャリアー
 トピーク スーパー ツーリスト DX チューブラー ラック
こちら店長さんオススメ。軽いし丈夫。トランクバッグの便利なリリースシステムも使えます。

○ホイール
  マルイ TX733 クロス センターロック ディスクハブホイール

○タイヤ
 Panaracer ツーキニスト 700×35C + ゼファール Z ライナー
長距離走行時の磨耗対策に、既存の27Cから35Cに変更。耐荷重をあげることを目的にホイールも交換。ついでに耐パンク対策に、ゼファールのZライナーを採用しました。

○ブレーキシステム
 SHIMANO BR-R353L
車体が重くなることも考慮し、制動性能の向上が必要と考え、交換しています。

○ペダル
 ROAD FLAT PEDAL(安かったのでw)

○ヘルメット
 OGK KABUTO LEFF アクティブレッド+トピーク ヘッドルクス
 

○ハンドル周り
 シマノ SHIMANO クラリス CLARIS ST-2400
 ハンドルバー CGP 4000mm
○ディズナ ドロップエンドライト
 せっかくだったので購入。車体の幅が視認出来るし、見た目もナイス。

○ナビ
 Gorilla 4.3v型 CN-MC02L(詳しくは以前の日記にて)
 前回の日記でご紹介したポタナビ。3万を切る価格ながら、それなりに使えますよ。

○小物入れ
 トピーク トライドライバッグ

○サイコン
 CAT EYE CC-RD410DW

○ミラー
 タナックス イージーミラー
 走行中に確認するよりも、走り出すときに後続車の状態を確認するのに主に使用。

○フロントキャリア
 ミノウラジャパン MT-3500SF フロントキャリア

○ライト
 キャットアイ HL-EL540RC
 ハンドルに装備しているライトだけでは光量不足を感じる機会が多かったので搭載。値段は張るし重いんだけど、4000カンデラととても明るい。街頭の少ないところや、路面状態を確認しながら走りたいときなど、かなり重宝します。

○フロントパニア
 ORTLIEB スポーツパッカークラシック
 元々リア用に購入してたものをフロントに移動させて使用。こちらも防水。


30キロほど試走してみた感想としては、ハンドルが重くなって走りにくいかなーと考えていたものの、実際はほぼ皆無。タイヤ幅が増えたことで速度は出せなくなりましたが、とても安定するようになり、結果的に非常に走りやすいです。
あとは既に購入しているテント等、宿泊用装備一式を積んで、お試しキャンプに出発し、その結果を以って、最終的なツーリング装備をそろえる予定。目標は6月下旬ですな。

ではまた(・ω・)ノ


2014年5月5日月曜日

相模湖サイクリングに行ってきたよー

GWも残りわずかになってきましたが、皆さんいかがお過ごしですか。
ジンです(・ω・)ノ

今回の遠乗り、事の発端は昨日。。。。
今回のGW、せっかくならもう一回位遠乗りに出たいなー、と、思い立つ。

で、候補が

1.江ノ島
2.箱根で一泊して帰る
3.上記以外のどっか

だったんだけど、江ノ島はもうつい最近行っちゃったばっかりだし、箱根で一泊するのはかなり惹かれるけど、宿泊費コスト的な問題に加え、宿が取れるかどうか怪しい。
もし万が一宿が取れない場合、日帰りライドになるけど、その場合総走行距離は150キロを超え、ちょっとまともに走りきれる気がしない。

というわけで、上記以外のどっか、に行くことにしたよー。

じゃあそれが何で相模湖になるのかよ!って話なんだけど、どうせなら車でも、電車でも行った事のない、ホントに知らない土地に行ってみるのもまた楽しいんじゃないか、と思い立ったわけで。
前に津久井湖は車で行ってるから、あのあたりまでの道は大凡覚えてるし、距離的には片道50キロほど、往復しても100キロちょっとなので、日帰りライドにはちょうどいいかなーと。

とと、ここまで決めたのが昨日の話。で、早めに就寝。


朝。目覚ましを仕掛けておいたので、四時起き。

天候的には○なんだけど、風が強い。。。
こりゃあ明日にしたほうがいいかなーと、天気予報をチェックすると、

明日のほうが風が強い!!
つまり、現状よりマシになる可能性はかなり低い。


今日を逃したら今回のGW、遠乗りできないかも知れない、というわけで、出発する事に。
荷物は大体昨日用意しておいたので、朝食をとって、片付けをして、で、出発。

これが大体7:00くらい。

サイコンをリセットして、走行開始!

走り始めて約1時間、20キロを越えたあたりかな、セブンを通りかかる。
ここまで上り下りと繰り返してはいたものの、まだ余裕があるのでスルー。
先を急ぐことにします。

もう5キロ程走ったところで、最初の補給をとることにしました。
だって、ここまでの道、激坂ばっかりなんだもの・・・
ちなみに寄ったのはセブンイレブン町田小山東店さん。
おなじ感じでとまっていたほかのチャリンコ乗りの方々からすると、「甘っちょろいこと言ってんじゃねー!」と思われたことでしょうな。。。


気を取り直して、先に進みます。

途中にコジマ電器橋本店さんがあったので、コイツを購入。
モバイルブースタは一応持ってきてはいたんだけど、モバイルブースターを充電するACアダプタを忘れてくるという失態をおかしたので。

いや、もちろんモバイルブースタはフル充電されてますよ?ただ、ポタナビにスマホにWi-Fiアダプタにと、アレコレ電源を頼ってるので、非常時にはマックに駆け込んで充電する可能性もあるかなーと。で、その時になって近くに家電量販店はおろか、コンビニもなく、ACアダプタが入手できない状況になると詰むんじゃないだろうか!と。

というわけで、購入。実はこれ、最大4台まで同時充電出来るシロモノ(しかも合計で4A出る、1ポートからの最大出力は2A)。旅行のときはバッグに忍ばせておこうね。

コジマ電器を出て、さらに走ると津久井湖に到着!
城山ダムの看板の前で、シャッセ君で記念撮影。何か旅っぽいですよね?ね!
展望台があるので、登ってみることにします。


うぉー!いい景色だなー!!
津久井湖は夜にしか通ったこと無かったけど、こんなんなってたのか!とちょっと感動。
このあたりでかなり風が強くなってきます。

進行車線の路側帯が鬼のように狭い、かつ、風がやたらと強いので、歩道を押して歩くことにしました。
ちなみに、帰りもココ押して渡ってます。行きより風が強かった。。。

津久井湖の物産売り場で休憩。
缶コーヒーを飲みながらのんびりしてると、ワンちゃんに絡まれました。
しかもめちゃデカイ、そしてかわゆす(笑)

飼い主さんと少し話をすると、まだ1歳9ヶ月との事でビックリ!
甘噛みがひどくて困ってますよ、と苦笑いされていました。

そんなこんなで休憩終わり!相模湖を目指します。
橋の上から撮影。ここも風がかなり吹いておりましたので、自転車を降りて、押して進みました。
歩道の上で煽られて、車道に落っこちたら大変ですもの。。。

で、山道を走ること1時間。。。
ついに、相模湖に到着!いやぁ疲れた!
最後の坂にはホントに参りました。しかもあれ下りでしょ?ってことは帰り登らないといけないんでしょ。。。とか思いながらめげましたけどね。

そこらじゅうボートとブラックバス釣りのロッドを持って歩いてる方々ばかりでしたよ。
以上!相模湖でした!



・・・・・。
えっとね、えっとね。。。

ええ、分かってますよ。
目的地の扱いが「そんだけ?」かよと思われている事でしょう。

着いてみて分かったんですが、予想してたより、あんまり見るものがない。

ボートハウスはあったんですが、遊覧船はあまり興味持てないし。
あとはゲームセンターと射的場と食事処兼お土産屋さんが数件あるだけ。

御土産も見てみたんですけど、「相模湖ならでは!」的なものがあまりなく、高速のSAで売ってそうなキーホルダーやらオモチャばかりでした。。。

個人的には、相模湖のピンズとかあったら欲しかったんですけどね。
シャッセ君につけるのに。。。

加えて、昼飯が食えそうな所はメチャ混みなので、早々に退散したという訳です。
30分そこいらしかいなかった・・・。

それじゃああんまりにも寂しいというわけで、相模湖駅まで行って、シャッセ君と記念撮影。
まぁ、相模湖に来たんだー!って記念にはなるでしょ。。。

で、この時点で完全に「帰るモード」な私。
昼飯は途中のガストでいいかなーとか思いながら、相模湖を後にしたのでした・・・。

が!ガストの手前にこのお店を発見!
なぬ!?ビーフカレーの店とな!?
チェーン店にはない、昔ならではの喫茶店な雰囲気のお店のカレー・・・

これはもう食うしか!!
というわけで、ここに決めました。

自転車なんですけど、どうすればいいですかねー?
ってお話したら、

風が強くて倒れたら大変ですから、テラスの壁際において貰って良いですよ。
と案内してくださいました。


しかも!こんなお洒落なテラス席で頂けることに!
開放的なテラスで、風が通って気持ちいいこと。

で、当然ながら注文したのはビーフカレー。
せっかくなので、ホットコーヒーもオーダしました。

まぁ、観光客相手のカレーですから、そこまで大したことはないでしょうが。。。
そう思いながら待つこと数分。
・・・・。

いや、これはねーだろ。。。

過度に期待してなかったというのも、
空腹だったと言うのもあるとは思うんですが、

それを差し引いてもかなり美味い!
想像の数倍美味い!

一口目はかなりフルーティで、学校の給食のような優しいカレーかな?と思いきや、辛さが後になってジワジワ効いてくる感じ。
そして、間に挟むグリーンサラダが適度に辛さを中和してくれる。

しかも、このボリュームで700円ですよ?ありえないでしょ!?

はい、完食!
とと、ここでコーヒー(350円)登場!

まぁ、カレーで分かっていましたが、予想通りというか、なんというか、

美味い。。。。うん。もう何も言うことはないでしょう。
アレです、砂糖もミルクも入れたくないコーヒーって言ったらいいんでしょうか。そんな感じ。

そして、カレーとコーヒーの味も去ることながら、
テラス席からの眺めがメチャクチャ良い!
しばらくのんびりとコーヒー飲みながら過ごしてたんですが

残念ながら。。。。時間が。
※15:00迄には帰り始めないと、帰宅時間がかなり遅くなり、真っ暗な山を走る羽目になるので。

かなり惜しいですが、コーヒーを飲み干して店を出ました。


出発準備中、お店の方に話しかけられ、今から50キロほど走って帰ります、とお話したら「風も出てきましたから、気をつけて帰ってくださいね」との言葉を頂きました。

何気ない優しさに、感謝しました。

フリッパーさん!ご馳走様でした!
住所: 〒252-0171 相模原市緑区与瀬762
TEL: 042-684-2020
FAX: 042-684-2020
営業時間: 5:00~18:00
定休日: 年中無休
アクセス: JR中央本線相模湖駅下車徒歩7分
中央道相模湖東出口より4分、中央道藤野相模湖インターチェンジより7分、県立相模湖公園入り口 相武ボート内
http://www.shokokai.or.jp/14/1442311023/index.htm

相模市内から湖畔沿いに来ると、このお店が見えにくいので分かりにくいかも。
相模湖公園からであれば、すぐ分かると思います。
ちなみに、ペット同伴可です。
私個人的には、お天気の良い日に、テラスでの食事をオススメします。


ちなみに、宣伝じゃないですよ?

気になっている方もいらっしゃるかと思うので念のため。お店の方に、ブログに書かせていただく件と、写真を撮らせて頂く件については了解を得ました。

どーぞどーぞ、的な感じでした(笑)
でも、宣伝じゃないですよ(笑)。


このあとは、ひたすら帰るのみ。
途中で補給を1回はさみましたが、あとはほぼノンストップで走りきりました。

本日の走行距離は、約103キロ。
でも、あんまり疲れてないんですよねぇ。。。。明日もどっか行っちゃうかも。

いや、意外と疲れが溜まってて途中で故障。。。なんてこともあるかもだし、大人しくしてたほうがいいのかなぁ。。。


ではまた!(・ω・)ノ

2014年5月2日金曜日

美味しいお蕎麦と温泉と山歩き

どーもー。ジンです(・ω・)ノ
今日は日本民家園の近くまで行って来ました。


近く・・・ってのは、日本民家園には今日は入らなかったから。
と言うのも、GW中にもう一度位は来たいなーと思いまして、その時のお楽しみにとっておこうかなと。

け、決して年間フリーパスをパスケースごと忘れてきたとか、そういうことではなくてですね。。。
※気づいたの、到着してサイフあけた瞬間でしたorz

なので、今日は普段あまり行ってない、生田緑地を中心に歩くことにします。

これ、紅葉ですよー。秋に真っ赤に染まったのを見たこともありますけど、緑も悪くないですね。

この道をあがっていくと、日本民間園の中にある、お蕎麦屋さんに行くことができます。
曜日は限定されますが、実は入場せずお蕎麦屋さんだけ利用することも出来ますよ。

今日はフリーパスがないので、そのルートが塞がってたらアウトなんですけど。。。。

いけました!冷やし山菜蕎麦を注文し、 待つこと数分。。。


本日の昼飯!冷やし山菜蕎麦登場(¥700)!

実は私、ここのお蕎麦何度か食べてます。
なので、わかってはいるんですが、わかってはいるんですが。。。

やっぱり想像以上に美味い!!

細麺ながらめちゃめちゃコシのあるお蕎麦と、少し甘みのあるそばつゆがいい感じに絡んでツルコシ!!
加えて山菜のコリコリ感、シャキシャキ感もたまらない!
何でこのクオリティでこのお値段なんだと、毎回首をかしげます。

一応15:00までなんですが、お蕎麦がなくなったら終了ですので、食べたい方はお早めに!
今回はラッキーで、昼時を外したのに食せました!
人の少ない、静かな店内でたぐるお蕎麦は、最高です!

お蕎麦にすっかり満足し、お店を出ます。


少し進むと広場があるのですが、それを抜けてさらに進むとこんな感じの道に出ます。
カメラを構えているおじ様、本を読まれている方もいらっしゃり、とてもゆっくりと時間を過ごせますよ。

遊歩道に入って、こんな感じの道を歩きます。
階段がしっかり整備されていて、とても歩きやすいですね。ただ階段自体は結構急ですよ。

登って下ってを繰り返すと、湿地帯に出ました。
ここも遊歩道がしっかり整備されています。が、湿地帯に降りてはいけません!なぜって・・・

こんなものが立ってるんですもの・・・(((゚Д゚)))ガタガタ
※まむし とは、三角頭の蛇で、強い毒を持ってるヤヴァイやつ。親父が昔咬まれてヒドイ目にあったから身に染みて知ってる。詳しくはぐぐってね。

遊歩道にいられる可能性もゼロじゃない(特に昨日雨だったので)ので、ゆっくり気をつけながら進みます。


竹林に出ました。が、あっちこっちでタケノコを掘り返したあとがありました。。。
ダメですよー掘ったら!!(禁止の旨の看板がそこかしこに・・・)

しばらく歩くと、何やら立派な展望台に到着!
エレベータまで完備されてますが、ここはせっかくなので自力で登ります!

展望台からの景色はこんな感じ。
何か、高尾山からの景色に似てますね。


缶コーヒーを購入してベンチで休憩。何だかんだでここまで結構歩きましたから、流石に疲れたので。。。
で、のんびりしていたんですが。

こんなところにまで、ぼっちの敵が。。。。

しばらく気にしないようにしながらのんびりしていたんですが、

さらに増える。。。なんで増えるし。。。。


じ、時間もアレなので、そろそろ戻りましょう!!
というわけで、入り口に戻ります。

せっかくなので、行きとは違う道で戻ることにしました。
いや、まむし怖いってのもあったんですけどね。。。。

この後、溝の口温泉「喜楽里」によって、さっぱり汗を流すことに。
たっぷり1時間つかってました。

ついででしたので、夕食もココで頂いて帰ることに。
十割蕎麦を注文したんですが・・・・


正直・・・・・。うーん。。。といったところ。
いや、普通に食べれる味なんですけど、お昼に頂いたお蕎麦のインパクトが強すぎたんでしょうね。

でもまぁ、あれで950円は・・・どうなんだろ?
高すぎず、でも味的には安いとも言えない・・・みたいな。

あ、温泉は最高でしたよ!機会があればGW中もう一回くらいは行きたいですねー。
けど・・・食事はいいかなー。別のところで(笑)。

ではまた(・ω・)ノ

2014年4月29日火曜日

八景島と鎌倉と江ノ島と

いやぁ、本当にお久しぶりです。ジンです(・ω・)ノ

最後にブログ更新したのは去年ですから、どんだけ久しぶりかよーって話ですな。

今回はポタリング報告。目的は横須賀の海軍カレー。あれ美味しいですよねー。

あと、ついでに・・・・

親父に癌封じの御守りを買ってこようかな、と。

※ついでに、って言わないと絶対受け取らなさそうだし。。。

7:30 自宅を出発。途中にあるコンビニに立ち寄り、朝食を買い込み。


8:40  線路をまたいで横浜方面へ。途中で立ち寄ったコンビニから、地元で父の病院に向かっているお袋に電話を入れ「今日は自転車でカレー食いに行ってる」旨を報告。

走行中に電話されても困るからね。

途中、ナビが明らかに自動車専用道やらを案内しやがるので、無視しながら目的のお寺に向かう。

若干遠回りにはなるけど、今日は別に急ぐ必要ないし、別に良いかなーと、巡行速度が25キロを超えないようなゆったりライドで走行。

11:20 目的のお寺「上行寺」に到着。

したんだけど・・・・何かおかしい。
いや、ネットだとかでお寺の写真は見ていたんだけど、何だか違うような。。。
あるぇ?ここだよなー。名前はあってるもんなー。

などと思いながらお寺の中をうろついていると住職さんに会い、聞いてみることに。

( ^ω^) サーセン、ここの御名前って「上行寺」であってるんすよね?

住職さん  え?ああ、そうですよ。

( ^ω^) えっと、癌封じの御守りが欲しくて来たんすけど、どこで買えば?

住職さん ああ!それはもうひとつの上行寺さんですね!

 ( ^ω^) はい?

お話を伺うと、どうもココとは別に、鎌倉のほうにもうひとつ全く同じ名前の上行寺というお寺があり、私が目指すべきはそこなのじゃないかとの事。

つまり、

全然違うところに来ちゃったんですね!(・ω<)

 ( ^ω^) ・・・・・。

 住職さん ここからだと、一山超えていかないといけないねぇ。

 ( ;;^ω^) まじでぇ。。。 

その後、行き方をとても丁寧にご説明して下さり、助かりました。
上行寺さん有難う御座いました!

住職さんに伺ったルートをナビにしっかり再入力。
出てきたルートは、やはり山登りルート。
ここで若干心折れそうになります。

が、今日の目的はあくまで癌封じの御守り。ただ走るだけじゃない。
それに、今日を逃したらGW中に天気が良い保障はございません。
昼前で腹ペコで、横須賀海軍カレー受け入れ臨戦態勢だったところから気を持ち直し、山登り開始。

途中、飲み物だけ補給します。昼飯は鎌倉に行ってからでいいや、と。
後にこの選択が大失敗になるのですが。。。。
で、いよいよ山道に突入したんですがね。ええ。


重い!キツい!暑い!腹ペコ!


登れば登るほどきつくなっていく勾配。しかも途中にコンビニチックなものはほぼ無し!
幸い、お茶は買い足しておいたので、それを飲みながら走ります。
が、路面状態は悪くなる一方で、路肩には落ち葉が大量に積もっている始末。
無理に登ると滑って事故の元になりそうと判断し、途中から自転車を押してあがることに。

無理はダメです。

そんなこんなで3キロほど走ると、上り坂終了。ゆっくり下っていきます。
山を越えられたーという達成感、あとは下れば何とかなるという安堵感。
しかも途中でMiniStopを見つけます。この時点で飲み物が残り少なかったので追加購入。
さらに軽く食べていくことにし、少しのんびりと休憩することに。

この時点で総走行距離約40キロ。
ナビを見ると電池メータが残り1個に。モバイルブースタから電源をとり充電します。

休んで食べたおかげか、かなり元気に。
しかもここから当分下り坂。スピードを出し過ぎないように注意しながら、のんびり下ります。
で、12:40頃、よーやく本当の目的地「上行寺」に到着!
暑かったー。

早速中に入り、御守りを頂きます。

驚いたことに、1000円もしない御守りにもかかわらず、お一人お一人にとても御丁寧にご説明してくださったあと、お経まであげてくださいました。

お願いだから、治ってほしい。もっとたくさんいろんな所に行って、いろんなものを一緒に見たり、撮ったりしたい(親父もカメラが趣味)。

そんなことをお経を聞きながら手を合わせているときにふと考えてしまい、少し泣きそうになります。

頑張ってくださいね!と声をかけられ、お寺を後にします。
ありきたりの言葉かもしれませんが、心に染みました。
ちなみに、御守りは昨日すぐに郵便局から親父の元に送らせて頂きました。
上行寺さん、有難う御座いました。

さて、少々湿っぽくなっちゃったので、ここで気を取り直します。
せっかくここまで来たんだから、江ノ島まで走ってしまえ!と。
千葉勤務になったら当分来れなくなっちゃうし。

ナビにルートを打ち込んでみると、距離的には8キロちょっと。全然イケると判断し、走行開始。
海沿いを走るのは最高に気持ちいい!
途中、景色のいいところがあったのでそこで少し休憩し、到着。
そういえば、初めてのロングライドで来たのも、江ノ島でしたねー。

コレが購入当初のシャッセ君、もはや見る影がないですな(笑)。
ちなみに、追加・変更された装備はこんな感じ。

キャリアー
 トピーク エクスプローラー 29er チューブラー ラック

パニアパック
 ORTLIEB スポーツパッカークラシック

サドル
 グランジ シンチサドル(ブラック)

STIレバー
 シマノ SHIMANO CLARIS ST-2403 STIレバー 左右セット(3x8S) EST2400TPAA

ヘルメット
 OGK KABUTO LEFF アクティブレッド

積んでるナビやら、サイコンについては、過去記事で書いてますよー。
せっかくなので、前回と同じルートで江ノ島入りします。
で、駐輪場にシャッセ君を置き、しっかりとロック。

ここから、食べ歩きと江ノ島観光スタートです!

最初のでっかい門。ここまで行く間、ホトホト人が多くてうんざりしそうになります。
だって、入り口からここまで20分近くかかってるんですもの。。。
 すごくいい天気!なんですが、ここまで眺めがいいところだと、言うまでもなくぼっちの敵が大量発生。。。
心がへし折れる前に先を急ぎます。

江ノ島ガーデンパーラーで何か食べようと思ったんですが、めちゃめちゃ並んでるのであとにしようと、先にサムエル・コッキング苑に入ります。


クローズアップレンズを持ってこなかったことを少し後悔。。。
ちなみに、殆どの方がスマホで写真撮られてました。ので、私のD2xは浮きまくりです。

まぁ、気にもしませんが。。。

この後、江ノ島シーキャンドルに登ります。
これですな。
ちなみに、これ登るのも結構並んでました。私が行ったときは20分待ち、だったかなぁ。
うぉー!!いい景色だなー!!
というか、まーだ江ノ島駐車場への道並んでるよ!今から来てどうするんだろ?(既に15:00)

ひゃああああ!!風がすごいぃぃぃぃぃ!!
というわけで、あまりに風が強いので退散。

決して、展望室にぼっちの敵が大量発生して心が折れそうになったとか、めげたとか、癒えない傷を負ったとかではなくて。。。( ;ω;)

 気を取り直して最後の観光地、江ノ島岩屋に
向かおうと、思ったんですが。。。。

防護ネット張替工事のため、入れず。。。
悔しいので海岸沿いの写真だけ撮ってきました。


シーキャンドル上でもそうでしたが、風が強いのなんの!
波が飛び散る!岩を超える!

そして濡れるッ!!!


D2xさんが錆びちゃってはたまらんと、早々に退散。
あとは一路帰宅の途につきました。

前回の江ノ島ライドの反省を元に、補給をきちんとしながら帰宅したからでしょう。
もうだめ!動けない!!的な疲れ方はなかったですね。実際翌日普通に会社にもいけましたし。

総走行時間:6h26min
総走行距離:96.22Km

教訓:ルート選定はキチンとやってから出発しましょう。イヤホントに。。。

ではまた(・ω・)ノ