通夜の日になりました。正直、朝起きて父の棺を見ても、顔を見ても、全く実感が沸きませんでした。
その間にも、昨日来られた方がご焼香に来てくださいました。母は涙も見せずに挨拶していました。
私といえばその間に、遺影に使う写真と、葬儀中に流す写真を用意していました。
といっても、帰省するまでこんなことになるなど、全く予想してはいませんでしたから、写真など用意はしていませんでした。
なので、実家に置いていった古いXPマシンや、外付けHDD、もう使わなくなったノートPCなどをひっくり返し、
あるだけの写真をかき集めました。
集まった写真は延べ25枚。その中からどの写真を遺影にしようか、という話になり、親族一同集まってみんなで見ていきました。
その中の一枚に、愛犬を抱いて、笑っている写真がありました。
父の格好と言えば昔から容姿にはあまり気を使わない人でしたから、髪はボサボサだし、服装は固まったセメントのこびりついた
作業服に、黄ばんだタオルを首にかけているという、お世辞にも立派とは言えない格好でしたが(笑)、屈託なく笑っているその顔と
作業着に身を包んでいる姿がいかにも父らしいということで、満場一致でその写真を使うことに決まりました。
その後、私と弟二人で、父が入る予定の墓を掃除することを思いつきました。別にどちらから言い出したわけでもありません。
お墓への道は、先日草払いがあったのでしょう、枯れた草と葉っぱが大量に積もっていました。持ってきた箒で綺麗に掃き、
一時間ほどかけて掃除しました。
午後3時くらいだったでしょうか、葬儀社の方が父の棺を迎えに来られました。
これでもう、父が我が家に戻ってくることはありません。
葬儀社の方が運転する霊柩車は、クラクションを鳴らし、ゆっくりと斎場に向かい始めました。
午後4時、斎場に到着し、通夜の段取りを説明されました。
しばらくすると、私の友人が鹿児島から、父の訃報を聞き、駆けつけてくれました。
事後報告でも構わないかなーと思っていましたから、通夜に顔を出してくれると聞くまでは、まさかわざわざ鹿児島から宮崎まで
来てくれるとは思っていませんでした。どう言葉をかければ良いか分からない、と言ってくれた友人の、そんな優しさに心から
感謝しました。
午後6時、通夜が始まりました。後から後から、線香をあげに来てくださいました。私が知らない方も沢山いらっしゃいました。
その数は200人以上でした。当初お返しの品を150もあれば十分であろうと構えていたのですが、途中で追加してギリギリと
いう状況でした。
祖母の手をとって泣いてくれる方
母と一緒に父の顔を見て「寝ているようにしか見えない」といって涙してくださる方
父と20年来の付き合いのある方
様々な方が来られましたが、皆一様に一緒に悲しんで下さいました。
しばらくすると、突然土砂降りの雨になりました。天気予報では雨が降るなど出ていませんでしたから、驚きました。
斎場にいても、斎場の屋根をたたくのが分かるほどの雨でした。
あとから聞いたのですが、その雨は斎場周辺と母の実家の近くだけしか降っていなかったそうです。
斎場からほとんど距離のない従兄弟の自宅周辺(2キロも無いです)も、全く降っていませんでした。
母と「あの雨は、涙雨だったんだろうね~」と話しています。
その日は21時前後で通夜が終了し、私たちは斎場に泊まることになりました。
母は祖父母と従兄弟と一緒に別室で休んでいましたが、私たち兄弟は父の棺が置かれている、ホールの方で休むことにしました。
しばらく取りとめもない話をしていました。
父の遺体がすぐそばにありましたが、線香をあげるたび、顔をみても「ただ寝ているんだ」としか思えませんでした。
化けてでもいいから出てきてくれないかな~とも思いました。父と話したいと本気で思いました。
もう少し現実を見るべきでした。明日には父の体はこの世から消えてしまうことを、もう少し考えるべきでした。
そのことを実感したのは、翌日、式の最後の最後になってからでした。
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